Watt

Jun 2
“「現状はまことに逆説的というべきでしょう」と彼は言った。「われわれは、ある意味では最も純粋な民主主義制にあります。同時に、われわれは専制君主制に到達しました。民主主義が歴史上、常に専制政治への道をたどることはお気づきでしょうか。人びとはこれを民主政治の腐敗とよびますが、実は、その成就にすぎません。他のすべての人びとと同等に知性を持った、あるいは同等に知性を欠いたひとりのジョン・ロビンソンという男を連れて来ればこと足りるというのに、なぜわざわざ、ほとんど無数にいるすべてのジョン・ロビンソンの数をかぞえ、登録し、選挙権を与えたりする必要があるのでしょうか。かつての理想主義的共和主義者は、すべての人は同等に聡明であるという考えにもとづいて民主主義を築きあげたものでした。請け合ってもいいですが、健全な永続する民主主義とは、万民がすべて同等に愚かであるという事実にもとづいてこそうち建てられるのです。その中から、他の者と大差のないあるひとりを選び出してはいけないという理由があるでしょうか。統治者として誰が必要かというと、犯罪者や異常者でさえなければ、速やかに請願書に目を通し、声明に署名できる者なら誰でもよいのです。上院についての議論で、どんなに時間が浪費されたか考えてもごらんなさい。保守派は、上院は賢明であるから彼らを存続させるべきであると言い、革新派は、愚劣であるから廃止すべきだと言うのですが、その間誰ひとり、それは愚劣であるゆえに正しいということがわかっていなかったのです。つまり、ちょっとした血筋の偶然でそこに放り込まれたごくふつうの人びとの集団こそ、下院に対する、すなわち頭脳においてはわれこそ貴族と自負している人びとの果てしない傲慢に対する、いとも民主的なる異議申し立てでありうるのに、そのことを誰ひとり洞察できなかったのです。いまやイギリスでは、これまでのすべての体制がおぼろげながら手探りで求めてきた体制、すなわち幻想ぬきの愚民専制政治なるものが確立しています。国家の首席としてひとりの人間が必要ですが、彼が選ばれるのは、優秀であるとか有徳であるとかいう理由によってではなく、彼がひとりの人間であって、烏合の衆ではないという理由によるものなのです。そして、遺伝的疾患などの可能性を回避するために、世襲制は廃棄することにしました。英国王は、陪審員と同様に、事務的な交替表にもとづいて選出されます。以上のことを除けば、この体制全体は穏健ながら独裁的でありますが、今のところこれに対する不平もないようです」” G.K.チェスタトン『新ナポレオン奇譚』(高橋康也・成田久美子訳)